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東京高等裁判所 昭和38年(ラ)373号 決定 1963年10月07日

抗告人 大橋哲郎(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告代理人は、原審判を取消し、本件を東京家庭裁判所に差し戻すとの裁判を求め、その理由として、別紙「抗告理由書」のとおり、主張した。

よつて案ずるに、本件記録によれば、本件扶養申立人小山道子の親権者小山ふさ子は抗告人を相手方として二回の調停申立をなし、昭和二八年一一月九日第一回の調停が成立し、その調停において、ふさ子と抗告人が離婚し、ふさ子は道子の養育費として一ヵ年間に合計四万二千円の支払を抗告人から受けることとなり、昭和三〇年一月一六日第二回の調停が成立し、ふさ子は道子の養育費として、抗告人が昭和二九年一二月から昭和三四年二月まで毎月千円宛積立てた道子名義の預金の引渡を受けることとし、この養育費受領の上道義上それ以上の養育費を抗告人に請求しない旨約したことが明らかである。しかるに、ふさ子は生活が困難となり、道子が小学校に入学するようになつてその養育にも困るようになつて来たので、今度は、道子の代理人として扶養料請求の調停を申立てるようになつたことが、原裁判所における小山吉男、小山ふさ子の審問の結果に照らし、明らかである。ふさ子の前記約定が道義的のものに止るか、また、道子の養育費に関してなされたので道子に義務を負わせるものであるか否かについては、論議の余地なしとはしないが、扶養を受ける権利は処分することができないのでこれによつて、道子の扶養申立が妨げられることはないものと言わねばならない。道子がふさ子の親権に服し、ふさ子が道子を養育し、父たる抗告人が道子と別の生活をしていることは、本件記録に照らし明らかであるが、かような場合においても、父たる抗告人は道子を扶養する義務のあるものと考えられ、原裁判所の認定した事情(原審判の理由二)によれば、一ヵ月金五千円の扶養料は不当ということはできない。抗告人はこれを争い種々主張するが、右認定の事情を左右するに足りない。よつて、抗告人の主張はいずれも採用できなく、記録を精査するも、他に原審判を取消す事由を認め得ないので、本件抗告を理由なしとして棄却し、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 千種達夫 裁判官 脇屋寿夫 裁判官 太田夏生)

別紙

抗告理由書

第一点扶養請求権の存否につき、

原審判はその理由三において、「昭和三〇年一月二六日成立の調停調書第四項のとりきめの意味に対し、子の親たる抗告人に対する扶養請求権を放棄し、もしくは裁判上行使しないことを約したものと見ることはできない」と判定している。成程右調停は被抗告人の親権者たる母親の申立に基づくものであり従つて該調書の拘束力は子たる被抗告人には及ばないものといえる。

しかし、だからと云つて子独自の扶養請求権の主張を認めるというのは、いかにも法律的形式に囚われ、扶養の実体を無視した判断といわねばならない。

何故ならば原審も肯定して居る通り親権者たる母の子に対する扶養の内容は、子の養育費であり、教育費であつて両者はその基盤を一にしているのみならず扶養の実体は本件のように離婚により子と母親が共同生活を営み、母親のみが単独親権を行使している場合には未成熟の子の養育は親権における扶養の内容として観念せられ、従つて子の扶養請求権も親権者たる母親の代位行使に基づき締結せられた前述調停調書第四項に拘束されるものと解すべきである。

次に原審判の所謂「道義上請求しない」という意味は或いは之を逆に解すれば法律上の請求権は放棄したものではないといえよう。

だが、しかし原審認定の通り果たしてかように単純に解すべきであろうか、元来、本件養育費の発端となつた離婚紛争は昭和三七年一〇月二六日付抗告代理人提出の意見書の通り、当時抗告人の妻であつた被抗告人の親権者小山ふさ子(以下単に、ふさ子という)より提起せられたものであるが、抗告人には離婚を必要とするような重要な原因を与えたことはなく抗告人が女友達と親しい関係にあつたとの点については事実に反した偏見で、それはむしろ、ふさ子の自らの行為により自ら招いた結果であつて同人の嫉妬による猜疑心に起因すろものであつたが、抗告人は子たる被抗告人の将来を憂ひ、極力慰留に努めたけれども、ふさ子の離婚意思は固く翻意させることもできず止むなく離婚するに至つたものである。その際、生後十ヵ月の被抗告人の扶養が問題となつたが、抗告人は引取つて自分の責任で養育したいと主張したところ、ふさ子は自分が一切の責任をもつて養育し抗告人には養育費として一ヵ月三、五〇〇円を一ヵ年送金して戴けばその後は経済的にも一切迷惑をかけないからと強く主張して譲らなかつたし、ふさ子の実母や、実兄なども責任を負うからというので結局、被抗告人は母方の責任において養育されることとなつたのである。

因に同調停条項第三項後段に「上記期間の満了後・・・・・」とあるは調停委員独自の意見として加筆され、当事者、殊に抗告人はその点別段考慮していなかつたのである。

然る後、被抗告人に対する扶養料について親権者ふさ子より第二回目の調停申立が行われたものであるが、その成立に際して同人は今後はいかなる名義をもつてしても請求しないし道子は同人の責任で養育するからというので抗告人はその言葉に信頼をおき引取扶養を断念して右調停(昭和三〇年一月二六日成立)が成立したものであり、従つて同条項四の後段にある「道義上請求しない」という文言は法律が扶養請権の放棄を禁じている関係上、右当事者の意思の調書作成について法律的技術の点からかような表現となつたものである。

即ち、子たる被抗告人に対する養育費などについては爾後、親権者であり、母親たる小山ふさ子において扶養の一切を責任をもつて負担することとし、抗告人たる父には迷怒をかけないという趣旨の表現であつて、換言すれば被抗告人に対する扶養義務は親権者たるふさ子の責任において行い、よつて抗告人の責任を解除したものと解すべきで、法律的請求の可能性を留保した意味に解すべきではない。

従つて原審認定は之等の点につき、解釈を誤つたものといわなければならない。

第二点養育費の算定について。

仮に抗告人に被抗告人の扶養請求権に対応する扶養義務があるとしても、原審の扶養額の算定については重要な誤りがある。

(イ) 先づ被抗告人の支出経費の内、重要なものは日常の生活費及び教育費であるが、原審は被抗告人の生活費(日常の経費)については何等その具体的調査も行つていない。ただ被抗告人と共同生活を営む母、祖母などの全体の収入額を明らかにして、その関係において被抗告人の経済的地位を漠然とながら示しているに過ぎない。

教育費については月額二千円を計上しているが被抗告人は現在義務教育の過程にあつて、然も扶養の必要な経済事情にあるというのであれば、何が故経費のかかる私立小学校に通学させねばならないのだろうか。

原審はこうした諸経費の明細について合理的な調査を行わないで扶養料月額五千円の認定をされたことは審理不尽のそしりを免れないと同時に原審判はその審判理由第三(1)の末尾に於て「右の調停条項の存在は本審判における扶養料の額を定めるについて有力な斟酌事由となるべきものであり」と認定しながら、被抗告人の請求通り審判したるは到底納得出来ないところである。

(ロ) 原審判は抗告人の月収は平均六万円と認定し居るもこれは現在における年間賞与を加算したものであり確実なる手取月収は約四一、〇〇〇円であつて抗告人の現実の扶養者は妻及び先夫の子の外実母も含まれている。

アパート住いの上に抗告人の勤務する企業は小規模であつて、営業内容も社会の景気変動に強い影響を受ける性質を有するので収入は不確定的であつて継続的給付に自信が持てない。

(ハ) 原審によれば被抗告人に対する扶養義務は生活保持の程度と解している。

成程、離婚後に子と生活を異にしているからといつて親子の血縁は否定できるものではない。

しかし、事、扶養に関する関りでは生活を共にしていた離婚前の子と、離婚後、父の親権を離れ母と共同生活に入つた子との待遇において両者を常に同一平面に置き之を遇することが事実上果して可能であるといえようか。

むしろ被抗告人の生活保持の内容は父たる抗告人の生活を基準とすべきではなく、現に共同生活を営み、親権を単独で行使する母の生活内容に扶養の標準を求むべきであり、然も親権者たる母も父と同様、扶養の責任を免れることはできないものと解すべきである。従つて之等の事由を斟酌することなく一方的に被抗告人の申立を認容した原審判は甚しく公平を失した不当なものといわなければならない。

第三点其他の主張については昭和三七年一〇月二六日付抗告代理人の原審提出の意見書を援用致します。

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